天国と地獄
(さあ、おいで。行こう。)
イェスさまの手が差し出されました。
「はい主よ。でも、どこへですか?」 主は何もおっしゃいません。
手をつないで、道をずぅーっと歩きます。
途中大きな岩が、道をふさいでいました。
その上にサタンが座っていて、
「誰が通すか!」
腕を組んで、偉そうにしていました。
私たちは近くまでやって来て、イェスさまは、ちっとも慌てず、細〜い別の道を歩いて行かれました。
「こんな所に道があったの?」
それは、とても目立たない道なのです。
サタンは、あてがはずれて「ちくしょう。」と言い、先回りをしようと出て行きました。
細い道で、人がやっと一人通れる道です。
しばらく行くと、道わきに古い木の扉があり、黒いマントをかぶった、お婆さんがいました。
「あんたたち、お疲れだろう。この中に入って、ゆっくり休んでいくがいい。」
イェスさまは何も言わず、私の手を握って先へと進まれます。
その木の扉の隙間から、暗闇に目がいくつも見えました。
「あんたたち!寄っていかないと後悔するよ!」
お婆さんは、後ろから叫んでいます。
私たちが行ってしまうと、木の扉は開いて中から気味の悪いものが、いくつも出て来ました。
「よし、もっと大勢で攻めよう!」
次は、吊り橋です。
「古い吊り橋ね〜。歩くのはすごく恐いわ。」
イェスさまは、私を背負ってくださいました。
この不気味な風……。 嫌な風だわ。この吊り橋もすごく変よ。なんだか、生きてるんじゃないかしら。その揺れ方、音、本当におかしいわ。
その吊り橋は姿を変えて、一匹の年老いた竜になりました。
私たちの前に立ちふさがり、
「行かせるもんか!
今度の断食は、この娘に天国を見せるためだろう。こんな娘、この淵から投げ落とし生きたまま葬ってしまえ!!」
風は渦を巻き、激しい風が吹きつけます。
主はわたしを降ろし、(おいで)と言って手を握りました。
(娘よ、良い目的が成る前には、邪魔も大いに働くものだ。共にサタンを追い出そう!)
「はい!」
竜がすごい形相で攻めてきても、イェスさまは全く恐れません。
(古い蛇よ、おまえのもといた暗闇に帰れ。光の道はおまえから、遠くかけ離れているのだ。
わたしの邪魔をすることは、おまえには出来ない。
一粒の麦として地に落ちて死んだがゆえに、わたしは生き、おまえに立ち向かい、おまえが残さず滅ぼそうとたくらむ人間達を、愛して導くのだ。)
「愛だと?!くそったれ!!!そんなことばは、へどが出る。
愚かな人間どもなど何の役にも立たない者を、どうして天国へなど連れて行きたがるのか、愚かで、喜んで罪を犯す者どもだ。
わしが、ちょっとでも誘惑すりゃあ、クリスチャンと言われる者どもでも、よろめく者どもが数多くいる。
吹けば飛ぶような愚かで弱い人間を、どうしてそこまで愛そうとするのか気が知れん。
そこにいる娘――愚かな者よ。
こんな者一人や二人殺したって、何の支障もありはしない。
愚かな祈りの娘達など、この世から滅ぼし、愚かな牧者どもなど、この世から絶やしてしまえ。」
イェスさまは、サタンを一喝(いっかつ)しました。
これ以上、聞く必要もないからです。竜は体をくねらせながら、急いで逃げて行きました。
(娘よ、大丈夫か?)
私はペタンと座り込みました。
体中の力が抜けていくようです。あぁ…………。
「イェスさま。人間を愛して下さって、本当にありがとうございます。
人間をいつも愛の糸で引いて導いて下さり、闇から光へ移そうといつも良い事だけを考えて、私たちを招いて下さる神さま。
心から感謝致します。
十字架の愛は、今も私を感動させます。
十字架の血は、今も私たちを聖めて、敵から私たちを守って下さいます。」
(わが子よ、天国の扉は開かれている。行きたいか?)
「はい、主よ。そのために、仰せの通りに従いました。まだ足りないと おっしゃるならば、もっと致します。」
(心配するな。約束だから連れて行くよ。ただし今回は、門の所だけだよ。)
「門ですか?分かりました。それでもいいですから、お願い致します。」
私のそばに天使がやって来ました。
その時、体中が震えだしました。神さまの力が臨む時はいつもどうしようもなく体中が震えだし、止めることが出来ません。
しばらく震え、時が過ぎました。
しばらく後で、イェスさまの呼ぶ声がしました。
ここはどこだろう?よく分からない。
(娘よ。天国へ行こうとしているのだ。
地上の思い煩い心配は、不要なものだ。悔い改めてここに捨てていきなさい。)
私は確かに思い煩っていたので、その事を悔い改め始めました。
何も心配いらないんだわ。心配するなと語って下さる主がおられるのに、もう心配するのはやめよう。これも悔い改めました。
(さあ、時がきた。行くよ。)
主が見せて下さった場所は、確かに門でした。
大きな門で、入口に二人の天使が立っていました。背の高い天使です。
「ここに入るには、どうしたらいいんですか?」
天使は私を見て、「あなたはクリスチャンですか?」と聞きました。
イェスさまは、私の横で微笑(ほほえ)んでおられます。
「はい、そうです。イェスさまを愛しています。」
「この国は、幼子のような信仰を持ち、赦された者たち、贖(あがな)われた者たちが天使に案内されて、たどり着く都です。
汚れた者は一人も入れず、聖書に登場する信仰深い者たちは、すでにここに入っています。
あなたは終わりの日まで、神に忠実であり続けるなら、ここに迎え入れられるでしょう。」
なんて、光に包まれた世界、やわらかな光、美しい輝き、とても言葉に尽くせない、愛の溢れる場所。
「あぁ、この門 開かないかしら〜。
今、誰か天国に入れる人がやって来て、ここから、開かれた扉から、中が垣間見られるといいのに。どうして門までなのかしら。
もっと見たいなぁ。 入りたいなぁ。」
イェスさまは (今日は他の所へも行こう。)
そう言われて、別の場所へ行きました。
んっ? ここはどこ?
天国から離れたわ。なんで ここは砂しかないの?渇いた砂しかないの?
私はびくっとして、立ち止まりました。
誰かいるわ………。何故彼らはこんな所にいるの?顔に表情がない。うつろと言ったらいいかしら。
何とも言えない顔つきなのよ。でも皆、一様に下を向いて歩いている。
何してるの?彼らは誰?
(娘よ、都に入れない者達だよ。いずれ彼らは、地獄に連れて行かれるしかない。)
「主よ。天国は空気でさえ、喜びと、愛と、光と、やさしさに包まれ、門であっても楽しい気持ちになりましたが、ここは―――。
ただ、彼らの後悔ばかりが伝わってきます。
神の都に入れない、その絶望が伝わってきます。
あぁ、彼らは本当に入れないんでしょうか? 主よ?
あの真っ暗闇で、恐ろしい悪霊達がたくさんいる地獄へ、連れていかれるしかないんでしょうか?
(わが子よ、生きている間だけだ。
生きている間にしたすべての事によって、死後の行き先が決まるのだよ。
誰が、死んでからとりなしによって地獄へ行くたましいを救い出せるだろうか。
出来ないんだよ。どんなに信仰深い偉人であっても、それは無理だ。生きている間こそ、チャンスだ。
立ち返って、悔い改めて、人生を生き直せるのは、生きている人間にだけ与えられている、チャンスだ。)
………私が死んだ後に、ここに来たらどうしよう?
天国に入りたいから、熱心に励む――。
そういう事をやめて、なまぬるく教会にだけ行ったらいいや、献金だけしたらいいや、
この世を愛して、神よりこの世を愛して生きたら、天国へ行けるという望みを持って生きてはいても、
入りそこねて天国の門さえ見る事が出来ず、こんな所で、砂ばかりのこんな所でうつむいて後悔しても、絶望しかないわ。
迎えに来るのはサタンだけだと分かっているのに、こんな所に、死んだ後、絶対来たくないわ。
「ヒィ――――ッ!!!」 叫び声があがりました。
強そうなサタンがやって来て、長い棒で彼らを打ちたたき、一列になって彼らは連れて行かれます。
「あぁ……イェスさま!!」
たまらない気持ちで、イェスさまの衣に触れると、イェスさまの目には、涙が……。
あぁ、どんなに主は悲しいだろう。どんなに苦しいだろう。
イェスさまはどんな気持ちで、彼らを見つめているのかしら。私は涙がこぼれて泣きました。
(祈りの娘よ。伝えて欲しい。
ヨハネの福音書3章16節
神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つためである。
このことばは、真実だ。
だから、あなたたちは一人として、地獄へ落ちてはいけないんだよ。
なまぬるく生きてはならない。熱心になって、たましいを愛して導きなさい。わたしはそれを望んでいる。
一人として天国に入れぬ者が出ないように、あなたたちが努力してパウロのように自分を打ちたたいて励んで欲しい。
わたしの涙は、あわれなたましいを見る時、どうしようもなく流れるからだ。
私は主がたまらなく、かわいそうに思えて大声をあげて泣き始めました。
引いていかれた あわれなたましい達――
それを見て涙しているイェスさま。
まだ生きている人達に向かって、切に救われて欲しい、天国に入って欲しいと望むイェスさま。
(娘よ、今日はここまでにしよう。
わたしはあなたを導いて、人には見せない事を見せ、聞かせ、知らせていくのだ。
もちろん天国を見、地獄を見た者達も多くいる。
わたしが、それをゆるさなければ、誰一人としてそれを見る事は出来ないのだ。
わたしがあなたに教えなければ、あなたは無知なままだが、わたしがあなたに見せ、聞かせ、体験させる事はみな、伝えてあげなさい。
それはあなたを誇らせるためではなく、ただ伝えさせるためだ。
あなたはわたしの道具であって、神のすばらしさ、天国と地獄の事、
わたしのことば、わたしが流す多くの恵みを流す管として選ばれている者だ。
わたしにとっては、皆もあなたも変わりなく尊く愛おしい一匹の羊だ。
いいね。分かるかい?)
「はい。イェスさま。
私はただの管であることを、よく知っております。
どうか通り良き管となれるように、私をもっと砕き肉の思いを殺して下さい。
肉の思いに死ねますように。私の内にあるすべての闇が出て行き、光で満たされますように。
イェスさまに似る者になって行くように、私を日々聖めて下さい。よろしくお願い致します。」
(わが子よ、あなたがわたしに対して本気であるので、わたしは喜んでいる。
訓練はまだまだ続く。
一生の間、人は自らを神によって、訓練されなければならないのだ。
なまぬるい者達には、試練も多く、サタンの働きも巧妙に働き、一人二人と信仰から脱落させていくのだ。
しかし熱心な者達にとっては、試練も、訓練も、誘惑も、攻撃も、全てが自らを鍛えるものとなろう。
強くあれ。雄々しくあれ。
日々、犠牲を払って従うあなたに今日わたしは良いものを流した。受け取ったら、流していきなさい。)