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聖書が示す罪とは?


170. 偽善

そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、

「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。

ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。

また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。

彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。

また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、

広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。

しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。

あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。

また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。

あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。

だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせません。

〔わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはやもめの家を食いつぶし、見えのために長い祈りをしています。だから、おまえたちは人一倍ひどい罰を受けます。〕

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、彼を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのです。

わざわいだ。目の見えぬ手引きども。おまえたちは言う。『だれでも、神殿をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』

愚かで、目の見えぬ者たち。黄金と、黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。

また、言う。『だれでも、祭壇をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、祭壇の上の供え物をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』

目の見えぬ者たち。供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか。

だから、祭壇をさして誓う者は、祭壇をも、その上のすべての物をもさして誓っているのです。

また、神殿をさして誓う者は、神殿をも、その中に住まわれる方をもさして誓っているのです。

天をさして誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方をさして誓うのです。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。

目の見えぬ手引きども。ぶよは、こして除くが、らくだは飲み込んでいます。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。

目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。

そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、

『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。

こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。

おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。