【東大阪市にお住まいの皆さまへ】
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1人1人の心の泉

こんこんとわき出る泉。


○○姉妹がにっこり嬉しそうに笑って泉のほとりに座り、
その水を両手で大事そうにすくって、おいしそうに飲みました。


「おいしい!」そう言って何度もすくって飲み、疲れもいやされ、目が澄んで輝き、とても美しい笑顔で言いました。
天を仰いで、「主に感謝致します!」


次にサタンがやってきました。
鬼のような姿をして口からキバが出ていて頭に角があり、赤い体をしていました。
その手に何か黒い粒のようなものをたくさん持っていて泉の中にばらまきました。


泉は、ゴボッ ゴボッと大きな泡を出し透き通って光っていた水は濁り、臭いものになっていました。


次に白い衣を着たイエスさまと私が手をつないで歩いてきました。
私は霊的幼子なので、小さい子供の姿をしていました。
主が語られました。


『見てごらん。サタンが毒をまいていった。
どのようにしたら この泉をもとのように澄んだ美しい泉にできると思うか?』


「分かりません、主よ。ごらんください。臭くて濁っています。
本当にどうしたら美しい水になるのでしょうか?
でも主よ、あなたはその答えをご存じです。どうぞ教えてください。」


『娘よ、見てごらん。この泉は、あなたたち一人一人の心の泉である。
あなたたちが油断をしていれば、すぐにサタンがやって来て、
大切なあなたたちの心の泉を汚し、よごしていく。サタンは笑ってあなたたちを見ていよう。』


「わっはっは。ざまぁみろ。おまえたちの心の泉を濁し、汚してやった。
おまえたちの心をかき乱し世のものをたくさん沈めてやった。


おまえたちがどうするか、とくと拝見しよう。
おれさまの手にかかれば、おまえたちのような弱い者などひとたまりもないわ。」


『わが子よ、あなたたちは、どうするのか?
サタンがこのようにあなたたちの隙を狙って忍び込み、心の泉が汚され、
心がとられてしまったとき、あなたたちはまず初めに何をしようとするのか?


あなたたちがまずこのことに気付いたのなら、自分の力できれいにすることなど、できはしない。
世の忙しさ、思い煩いに心がとられ、あっという間に、一日の中でこのように心が乱されてしまうことが
あなたたちの中では日常のことである。


わたしを呼ばないから、こうされるのだ。
常にたえず、わたしを求めないから、心の中にわたしが不在であるから。
心の中に隙が多いから、このようになるのだ。


わが子たちよ。
このようなことになったのならば、あなたたちはすぐに気付いて、わたしのもとに駆け込まなければならない。
まず罪の悔い改めをしなさい。


あなたたちが戦う備えをせず、のほほんとしているから油断をしていたために敵に大切な心の泉を汚されたのだ。
自分の怠っていた罪をわたしにわびなさい。


心を日々守ることは、あなたがたに命じておいた。あなたがたの仕事である。
力の限り見張ってあなたの心を見守れ。ここは命の泉のわき出るところであるから。
悔い改めることによって多くのゴミがわき上がってこよう。


あなたたちは、そのゴミをすくって捨てなさい。
胸がつぶれるほどに必至になって悔い改めなさい。悔い改めが深ければ深いほどその泉は聖まろう。


しかし浅い悔い改めであるならば、なおも水は汚れたままである。


そのあとで、わたしの血を注ぎ、聖霊を求めなさい。


聖霊の水が注がれてその泉に注ぎこまれよう。

聖霊の満たしを求めなさい。何でも中途半端にしてはならない。
祈りも中途半端、悔い改めも中途半端、わたしに求めることも聖霊の満たしも、
すべて中途半端にする者たちが非常に多い。


「これくらいでいいか…」自分で勝手にそのように決める。
時計を眺めて、忙しいから、あのことをしたいから、見たいテレビ番組があるから、さまざまな理由をつけて
わたしとの関係をあとまわし、中途半端にしている者のなんと多いことか!


口先で信仰を持っていると告白する者たちは多い。しかし、実りを見るなら確かである。


「主よ、どうしてあの人たちは実りがあるのに、私には実をつけてくださらないのですか?不公平です!」


おろかな言葉である。
自分の人生に人と比べて実りを求め、わたしに文句をつける者たちよ。


あなたたちは全く気付かないが、
実りのある者たちがどれほど わたしの御前にへりくだり、心を砕き、肉を殺しているか、考えたことがあるのか?


あなたは自由に時間を使うが、彼らは全くそうではない。


あなたはひざまづくのを嫌がり、すぐに祈って立ち上がるが、見よ、彼らはそうではない。
わたしからの答えを求めて、とりすがり、わたしの衣のすそを掴んではなそうとしない。


見よ、あなたたちは豊かな目立つ賜物を求めるが、
わたしの本当のしもべが求めるものは、謙遜の実、従順の実、悔い改めの実、わたしの愛の実なのである。


人はうわべを見、必死でうわべを飾ろうとする。霊のものも同じように考えてみている。


「あの人はいいな。あんな特別な賜物が与えられて。」
しかしわたしは多く与えた者には多くを要求する神である。


また、わたしは小さなことに忠実であるものに、大きなことを任せる主である。
「こんな小さなこと!誰にでもできる。こんなつまらない仕事は、わたしはやらない。
大きいこと、目立つことがしたいのよ。」


そういう者には、一生大きな仕事が任されることはない。
わたしは、そのように人の心を見る主、見極める主であるからである。


あなたたちはこの山に何を求めて登ってきたのか?
その祈りは答えられたか?


あなたたちが求めていることと、わたしがあなたたちに求めること、
それは大抵の場合、大きく違っている。ずれている。
これからの時間は自分の願いをわきへ置いて、わたしの御心だけを求めよ。


あなたの心の中にわたしを大きく迎える場所をつくりなさい。

他のもので満たされている部屋に どうしてわたしが入れようか?


あなたが1つしかない心の王座に座っているのに、わたしにどこに座れというのか?


あなたたちがこの山にのぼってきたその大きな理由の1つは、わたしに出会うためであったのではないか?
ならば、わたしは答えよう。


あなたの心を整理せよ。
要らないものを捨て去って、美しく飾り、
わたしに向かって「どうぞ、入ってきてください。」と、あなたたちの方から招きなさい。


聖霊は聖い霊であって、このように丁寧に迎えられることを非常に好むのだ。
招かぬ者の心には決して入らない。


今日、あなたたちはどうか?

わたしのことばを聞いて あなたたちがどのようにするのか、わたしはここから見ていよう。』


――祈祷院での聖会にて――


幻と啓示〜天国と地獄〜
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