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第11課・救いに対する望み

(81-88節)


【 詩篇119:81-88 】

私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです。私はあなたのみことばを待ち望んでいます。

私の目は、みことばを慕って絶え入るばかりです。「いつあなたは私を慰めてくださるのですか」と言っています。

たとい私は煙の中の革袋のようになっても、あなたのおきてを忘れません。

あなたのしもべの日数は、どれだけでしょうか。あなたはいつ、私を迫害する者どもをさばかれるのでしょうか。

高ぶる者は私のために穴を掘りました。彼らはあなたのみおしえに従わないのです。

あなたの仰せはことごとく真実です。彼らは偽りごとをもって私を迫害しています。どうか私を助けてください。

彼らはこの地上で私を滅ぼしてしまいそうです。しかしこの私は、あなたの戒めを捨てませんでした。

あなたの恵みによって、私を生かしてください。私はあなたの御口のさとしを守ります。


詩人は逆境の瞬間にも 神の救いだけを待ち望んでいました。
特にここでは、主の救いとみことばが同一視されている。


それは、みことばを通して救いの力が現れるからだ。


苦難が辛くなればなるほど、神を慕い求める思いも さらに深くなり、苦難が終わる時まで神のことばを守ると告白している。

苦しみから なかなか救い出されなくても、失望せず続けて神のことばを覚えながら従っていた。


身体は疲れ果てても 神の約束に信頼し、誠実な態度を忘れることはなかった。

なぜなら詩人は、神が必ず現在の不安と恐れから救ってくださると確信していたからである。

敬虔な人たちは どの時代でも神を切に慕い求めた。


新約時代は、みことばがとても身近な所にあるので いつでも読むことができるが、旧約時代は、神のことばをたまにしか聞くことがなくても 神のことばを信じ慕っていた。

まわりに多くの敵がいても、激しい試練の中にいても、神の民として身分を忘れることなく、神のことばを守るために努力した。


悪い者たちは穴を掘ってつまずかせようとするが、詩人は神に頼りながら大胆にみことばを守った。


自分が本当に主を信じる信者であるなら、キリストがすでに世に打ち勝ったことを覚え、悪の勢力に対して自分も勝つことができると 確信ある信仰を持って生活すべきである。


【 マタイの福音書8:26 】

イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。



【 マルコの福音書9:23 】

するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。


神さまは良いみこころをもって確実に働く方であるので、その方に私たちは恵みを求めなければならない。

神は私たちの望みであり、また神にこそ私の栄光、命がかかっているので神にすべてを信頼しなければならない。


むなしい世のものに価値をおいて欲を満たすために求めるのではなく、神にあって真実に生きるために努めなければならない。

詩篇119編の学び
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