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第14課・たましいの案内者としてのみことば

(105節)

みことばの役割として、みことばは人生においても 実際に案内者であります。

みことばが、神のみこころを啓示する “ともしびと光” であると告白しました。


【 詩篇119:105 】

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。


もし私たちが主のことばによって導かれないなら、暗闇の世の中で道を捜して さまようようになります。


詩人は神のみことばを足のともしびのような案内者と信じ、そのことばを堅く守りながら 信仰をもって救いのために祈りました。


人間は神のことばに従う生活を最優先の価値と認め、その生活を目指さなければなりません。

(106-107節)

【 詩篇119:106-107 】

私は誓い、そして果たしてきました。あなたの義のさばきを守ることを。
私はひどく悩んでいます。主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。


状況が変わると 神への約束も人生観までも変わる人がいますが、詩人はひどい苦しみの中でも みことば中心の人生観を離さず守っていました。

(108-109節)

【 詩篇119:108-109 】

どうか、私の口の進んでささげるささげ物を受け入れてください。主よ。あなたのさばきを私に教えてください。
私は、いつもいのちがけでいなければなりません。しかし私は、あなたのみおしえを忘れません。


口を開いて喜びと感謝の心で祈りと賛美をささげることは 主が喜ぶことであります。

悪者の策略によっていのちに危険が迫っている時でも、詩人はみことばによって慰めを受けました。


もし彼が人間的な手段と方法で目前の危機を逃れようとしたなら、一時的には楽になることはあるかも知れませんが、決して永遠の喜びを得ることはできません。


【 ヘブル13:15 】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

(110-112節)

【 詩篇119:110-112 】

悪者は私に対してわなを設けました。しかし私は、あなたの戒めから迷い出ませんでした。
私は、あなたのさとしを永遠のゆずりとして受け継ぎました。これこそ、私の心の喜びです。
私は、あなたのおきてを行うことに、心を傾けます。いつまでも、終わりまでも。


神のことばは行おうと心に決め、そのとおりに具体的に実行していく時、信仰は光を放つようになります。

神は私たちがみことばを聞き行う時に 祝福されると語っておられることを忘れないようにしましょう。


本文を通して、私たちが得られる教訓は、


?人間には決して自分の力だけでは、まことの平安といのちを受けることはありません


?真実な聖徒は大きな危険も体験しますが、みことばによって克服し、賛美を捧げることができます


?聖徒たちはみことばを使って、敵の誘惑に勝つことができます


【 ヘブル4:12 】

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

詩篇119編の学び
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