
第6課・大胆さを与えるみことば
主のみことばによって救いを受け、それによって さらにみことばを守る力を得ることを、詩人は知っている
【 詩篇119:41 】
主よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが、みことばのとおりに、私にもたらされますように。
すべての救いは神から来るのであって、救いは決して人間の力では得ることができない恵みに属するものである。
【 詩篇33:16 】
王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
【 詩篇119:42 】
こうして、私をそしる者に対して、私に答えさせてください。私はあなたのことばに信頼していますから。
そしる者たちは、彼に対して神の助けも救いもないと そしったかも知れない。
神が自分を救って下さるなら、ことばに頼ってそしる者に敵対すると言う。
神のことばは 聖徒たちが持ってある唯一の攻撃武器として、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通す。
【 ヘブル4:12 】
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、 関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
このことばで敵と戦うことができる。
【 詩篇60:12 】
神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。
【 詩篇119:43-44 】
私の口から、真理のみことばを取り去ってしまわないでください。私は、あなたのさばきを待ち望んでいますから。
こうして私は、あなたのみおしえをいつも、とこしえまでも、守りましょう。
真理のことばこそ すべての希望の根拠であることを語った。
真理のことばから はなれることは、すべての希望が無くなることである。
そのために、とこしえまでも みおしえを守ると誓う。
聖徒たちは、神のみことばを慕い求めることに 最高の価値を与えなければならない。
みことばは聖徒たちの足のともしび、道の光である。
私たちがみことばを無視し、ないがしろにするなら 信仰もだんだん消えていく。
詩人は、神のことばを心の中に入れ、口からもはなさず、正しい生き方をしようと願っている。
【 詩篇119:45-48 】
そうして私は広やかに歩いて行くでしょう。それは私が、あなたの戒めを求めているからです。
私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、しかも私は恥を見ることはないでしょう。
私は、あなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。
私は私の愛するあなたの仰せに手を差し伸べ、あなたのおきてに思いを潜めましょう。
ここでは神のみことばに対しての態度を現してある。
神のことばを守りながら生きる人には 自由があり、いつも平安である。
真理を知り、真理を行うと、真理がその人を自由にさせるからだ。
どんな状況の中でも、勇気を出して大胆に聖徒としての義務を果たそうとしている。
このように みことばを愛する人は、どんなことがあっても神のみこころから離れないように努力する。
そして いやいやながらでなく、喜んで心からみことばを守ろうとする。
神のみことばを愛する人は、みことばを行う時に 大きな喜びを感じる。
神さまを みことばを形式的に守る人は、仕方なく従う人を喜ばない。
熱心に進んでみことばを守る人を神は喜ぶ。
全身全力でみことばを守る人は神に喜ばれる。
そして、みことばを聞いて慎重に行動する人を喜ぶ。
私たちがみことばの導きを受けず人間的な判断によって行動するなら問題が多くなるであろう。
みことばにとどまるならば、導きを受けるし、患難の中でも慰めと喜びを主に与えられるであろう。