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第7課・希望になるみことば

(49節)

この世でどんな患難があっても 信仰を守り通すことができるのは、永遠の希望が主のことばの中にあるからである


【 詩篇119:49 】

どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。


神様は真実な方で一度約束したことばを絶対に打ち破ることはなさらない。

苦しみの中でも主のことばに信頼するなら慰めを受ける。


信仰が成長するように恵みを与えて下さる。

(50節)

【 詩篇119:50 】

これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。


義人を苦難の中に捨てておかず救い出すと約束した神のことばによって 信じる人たちは生かされる。


【 ハバクク書2:4 】

しかし、正しい人はその信仰によって生きる。


神のことばには、救いの力があり、命を与える力がある。

聖徒たちは死にそうな激しい苦難の中でも 絶望するのではなく、神のみことばを待ち望みながら 主に近付くならば、主の慰めと救いを受ける。

(51節)

【 詩篇119:51 】

高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。しかし私は、あなたのみおしえからそれませんでした。


高ぶる者は神のことばに従わない者である。

高ぶる者が神のことばによって生きる人をあざけるのは、この世では珍しいことではない。


聖徒たちが彼らからそのような扱いを受けるのは、聖徒たちがこの世に属していない 存在であることを立証する。


聖徒たちが、もしそのような非難や扱いを受けたならば挫折するのではなく、かえって使徒たちのように自分たちが世に属していないことを喜びながら さらにみことばに信頼するべきである。


【 使徒の働き5:41 】

そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。

(52節)

【 詩篇119:52 】

主よ。私は、あなたのとこしえからの定めを思い出し、慰めを得ました。


主のとこしえの定めの中には神の公義の法則がある。永遠の統治の原理がある。

神の摂理の中にある公義の法則を思いながら慰めを受ける。


【 イザヤ書57:15 】

いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。


【 箴言16:18 】

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。


(53節)

【 詩篇119:53 】

あなたのみおしえを捨てる悪者どものために、激しい怒りが私を捕えます。


悪者の特徴を「みおしえを捨てた者」と語りました。

そしてみおしえを捨てみことばに逆らいながら生きる人に対しての激しい怒りを表した。

この怒りは個人的な感情の表現ではない。


それは神のみことばを踏み付け、悪を行う人に対する義の怒りである。


神のことばを愛する人たちは、神のことばに逆らう人たちに対して何とも思わないのではなく、義の怒りがこみ上げてくる。

(54節)

【 詩篇119:54 】

あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。


地上の旅路を生きる人にとってみことばは力を与える活力等になる。

そのためすべての関心を神のことばに向け、まるで神のことばを歌のように口ずさんでいた。


勝利を得る者になるためには、聖徒たちは何よりもみことばと共に歩まなければならない。

(55-56節)

【 詩篇119:55-56 】

主よ。私は、夜には、あなたの御名を思い出し、また、あなたのみおしえを守っています。
これこそ、私のものです。私があなたの戒めを守っているからです。


神に近づく生活は日々 主を思いながら、神の中にとどまることである。

神のことばに従順することは、最大の祝福を受ける道でもある。


神のみこころに従うことが一番大きい祝福と信じ、熱心に努力する者になりたい。

現代を生きる聖徒たちが持つべき態度である。


今日多くのクリスチャンがみことばを熱心に聞きながらも、みことばとは関係なく生きる傾向がみられる。


しかし、みことばは 必ず従順につながらないといけない。


私たちの生活の中で、そのみことばが確認され体験できる時に、もっと深い理解と献身に発展することができる。

詩篇119編の学び
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